「夢・希望」について考える

 

横浜からの帰り道、ポルシェを売っているお店の前を通る。

う〜ん、こんなのに乗っていたらさぞかし楽しいだろうなぁ・・・

そう、夢って言うかな、希望って言うかな。

 

そういう状態の自分はさぞかし幸せなんだろうなぁ・・・という訳だ。

大金持ちとか、会社の社長だとか、有名人とか、お抱えの運転手がいて・・・

とか、ヨットに乗って世界一周をしている自分・・・とか・・・

 

他の人と比べて優越感を持てるのだろうと想像して羨むのだ。

優越感を持てれば、幸せを感じられるだろうと思うのだ。

が、他との比較だともっと凄い人が出てくると困ってしまうし、

考えてみればその「もっと凄い人」は結構いたりするものだ。

 

他との比較はやめたとしても、

今の自分にないものが手に入ったらとても幸せになれるのだろうと憧れるのだ。

こういう感覚は自分自身の内側に確かに存在している。これは困ったことである。

今の自分は十分に幸せじゃぁないということになる。

だから、「もっと幸せ」に憧れているのだ。

そう、憧れているのだ。

 

そして、それを得るためには、「目標をしっかりを持って」、「それに向かって努力して」、

「一生懸命頑張って」、「達成」して、「成功」して、「社会に認められて」、「社会の役に立って」・・・ etc。

そうしたら、きっと「とてつもない幸せ」がやって来るに違いない・・・と。

自給自足の生活に憧れて・・・というのも方向は違うようでいて、実は同じ精神構造なのだ。

 

そういう「夢」や「希望」を持つこと自体は何も悪くはない。

それに向かって「何か」をやっているときに感じる感覚はステキなものだ。

将来、車で日本一周をしたいから、頑張って免許を取る・・・などという時の感覚は、そりゃ良いもんだ。

たとえ「日本一周」は出来なくなっても、その過程で感じたものは確かに良いもんだったはず。

だったら、そういうことを感じるために「夢」や「希望」を使えばいい・・・という考え方、これも悪くはない。

「何かを一生懸命やっているときに、得られるものが人生」ということだ。

つまり「今、ここ」を楽しむために、「夢」や「希望」にご登場願う訳である。

 

でも、それだったらなにも「夢」や「希望」を使わなくても、単純に「今、ここ」を楽しめばいい。

すると、「じゃぁ、どうやって楽しめばいいのだろう?」という声が・・・

いかんいかん、これはエゴの声・・・この質問には正しい答えは無いのだ。

 

もし自分の「幸せ」は自分で決められるとしたら・・・

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