寛永寺五重塔 |
西郷さんの銅像 自分が攻め来た黒門口を睨んでいます。 |
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東京の寺の代表的な寺は、寛永寺、増上寺、辺りで徳川様に所縁の深い寺ですが、何れも旧形を失って寂れています。 これは、薩摩、長州の藩閥政府に不景気にされて、震災に会い、空襲で焼かれ、増上寺なぞは江戸名所図会に昔の面影を偲ぶばかりです。 寛永寺も戊辰戦争で焼かれ、壮麗な伽藍は偲ぶ由も無いですが、清水舞台、東照宮、五重塔は残っており、僅かに往時を偲ぶ事が出来ます。 |
江戸は後進都市でした。 先に触れました通り、東京の寺は徳川様と何がなしの所縁があつて、薩長藩閥政府に目の敵にされたから、京都の古寺の様に大事にされませんでした。
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彰義隊奮戦図 天野八郎が率いる彰義隊は寛永寺に立て籠もり、その数およそ三千人、慶応四年七月十五日、薩長軍と会戦、たつた一日の戦闘で敗走、寛永寺の堂宇は殆ど焼失、これが戊申戦争の始まりとなります。 |
彰義隊墓 この戦いの戦死者、三百人あまりがこの墓に葬られています。 |
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江戸名所百景清水の舞台 |
清水の舞台 |
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清水の舞台から、不忍ばずの池ほ見下ろす絶景は、今は桜に遮られて見る事が出来ませんが、それは江戸名所百景で忍んで頂くとして、この舞台と、五重塔、東照宮の灯籠は見事に残っております。 誠に有り難くも嬉しい事に、東照宮の境内は参観費無料、本殿拝観も僅かに二百円であります。 京都の観光寺の坊さんに、ここを拝んで貰いたいと思っている次第です。 |
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清水の舞台を仰ぐ |
穴のお稲荷様と五条天神入り口 | 天神様 | |
花園稲荷 |
穴のお稲荷様 |
東照宮境内の石の鳥居と灯篭群は、見事に残りました。 桜の頃のこの境内の観景は素晴らしいです。 戦前、此処と根津権現で、時代劇のロケがありました。 戦後、山田洋次の 家族 でも、ここが出てきます。 そう云う事を売り物にしないところが、上野東照宮の値打ちであります。 |
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云う 寛永寺根本中堂 |
寛永寺根本中堂 寛永寺墓地の外れに寛永寺、根本中堂があります。 元、川越の喜多院にあつた物をこの地に移した と云う話ですが、境内にはこの寺の歴史を物語る遺跡が沢山あります。 |
ここに「彰義隊奮戦の図」がありますが、彰義隊が上野の山に拠り、奮戦なぞしなければ、上野の山が公園にならず、大寺院がそのまま残り、京都の観光寺なぞは足元にも寄り付けない、偉容を誇れたかも知れません。 残念な事であります。 この門前に浄名院があり、左折すると谷中の寺町になります。。 |
浄名院と云うお寺には、八万四千体のお地蔵様があります。 山門を入ると正面に地蔵尊の立像があり、境内にびつしりとお地蔵様が並んでいます。 旧歴の八月十五日この寺で へちま供養 があり、この日にお参りすると、せき、ぜんそくに効験が有ると云うので賑わいます。 |
八万四千体地蔵 |
並んだ地蔵像 |
ここのお地蔵様は、水子供養の為に建てられものと思いますが、八万4千体と云う数を正確に数えた訳では有りませんけれど、日の目を見ずに亡くなった胎児の菩提を葬うばかりでなく、幼児の菩提も葬つたもので有ろうと思われます。 旧幕時代、日本全国で米の収穫は4000万石程度で、人口は約4000万人、この人口を維持するのが、精一杯の国力だつたのです。 |
増上寺は戦時中、三度に亘る戦災で、建造物の殆どを焼失しました。 今や表門に梵鐘が残るのみで有り、東照宮参道や境内に林立していた、石灯籠なぞは散逸してしまつたと云う事です。 その行き先も定かでなく、行方を求めている研究者も居ると聞いています。 |
: 現在、増上寺には昔を忍ぶ建造物は殆ど無いに等しく、その昔は今の芝公園の全域、東京タワーがら、プリンスホテル辺りまで、全てこの寺の境内であつたと云いますから、大変広大な規模であつたと云う事になります。 | |||
これが空襲で焼けずに残っていたらと、つくづく惜しまれるのであります。 |
芝、上野、浅草の鐘を江戸 三大名鐘と云いました |
山門 |
本来は南面している観世様が、何故か西を向き、その境内に数万個かの可愛いお顔お地蔵様が並んでいますが、これも水子地蔵だと云われていますが、ここのお地蔵様はあどけなく可愛い顔をしています。 何れにしても地蔵様は、子育ての仏さまですから、可愛くてあどけない方が、良いのではないかと思っております。 |
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ここは俗世界の東京名所です。 元、此処は増上寺の境内でありました。 展望台に上ると、料金は各階ごとに別料金で、催し物はこれ又全て別料金で、これを昔は仲銭と云いました。 チョツト昔の見世物の様で、いささか根性がさもしいと思いますが、観光地と云う所は何だ彼だと、追い銭をとるのが普通だから仕方が無いかとも思います。 ここの食堂のお粗末な事は、バスターミナルの食堂以下で、値段は相場で取っていましたから、東京タワーにお出かけの切は、お弁当持参がよろしいかと存知ます。 ここの展望台から眺めた東京の空は、一時に比べると随分と綺麗になつた様です。 こうした景色が眺められるのが、唯一、ここの取り柄であります。 八十五年前、浅草に凌雲閣、十二階と云うのがありましたが、それの現代版が東京タワーだと思っております。 |
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と感じ |
タワー展望台より1 |
タワー展望台より2 |
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