後期高齢者独語
 嘗て、古今亭今輔と云う、新作落語専門で人気の有りました師匠が、マクラに「女は皆な鬼婆になり、男は皆、好々爺になるんです」と云っておりましたが、全く明言であり、同感でありました。
 
 

 
 絶世の美人もかくの如くに醜くなるのであります。
 マウスをお当てください。
 怖いですよーー。


老いると云う事 生命のある所必ず老いが有るのでありまして、絶世の美人も年寄れば、醜い老女となります。
 小野の小町と云う絶世の美人、若かりし頃、深草の少将なる純情な青年を誑かし、九拾九回通わせて、大いに焦らし誑かし、その結果彼の少将は狂い死ぬのですが、魂魄この世に留まつて、小野の小町をクタクタのババァにして生き続けさせ、哀れやこのババア僅かな糧を破れ袋に入れ、卒塔婆に腰を下ろし、町往く人に物乞いをする程に長生きをさせます。
 それを旅の高僧に見咎められ、注意されると逆に法論を仕掛け、長々と問答があって、その昔、彼女焦がれ死にした、深草の少将の怨霊に取り付かれ、因果応報で、今、現世で苦しんでいると云う因果話を始め、この苦しみから救って下さいなぞとお坊さんに頼むであります。
 観阿弥作る所の卒塔婆小町と云う室町の昔の話ですが、現代も同じ事で容色は容赦なく衰え、身体は衰弱するのであります。
 小町と云うのは美人の別称で、その元祖、小野小町もこんな具合になるのであります。
ーーー。
 永遠の処女、原 節子 は41歳でスクリーンから姿を消し、此れ以降一切、公の場所に姿を見せておりません。
 鎌倉で 倉田昌世 と云う人が八百屋で買い物をするのを見たと云う人がおりますが、誠に見事な生き方だと敬服致しております。
 老生は昭和16年春、東宝砧撮影所で、普通の人よりひと回り大柄な原 節子を見たことがあります。
 誠に幸せでありました。
 森 光子は、70台女性の憧れの星であります。
 89歳のこの人が、何故こうも若々しく美しく可憐で、且つ現役の女優でさえあるのは日常的に大変な節制と努力の賜物で、70歳近くなって、如何に奮闘努力をしても、駄目であります。
 老いは35歳より始まるのであります。
 小生の身近にも感じが森光子と良く似た方が居りまして、立ち居振る舞い誠にキビキビと、日々を快適に過ごされており、実年齢より確実に十歳以上若く見えます。
 何れ機会を得て、美しく老いる秘訣を伺う積もりでおります。
  吉永小百合のフアン、サユリスト諸氏は今や後期老齢者となり、現在の彼女はご年配女性の憧れの星であります。
 森 光子には及びもないが、せめてなりたや吉永小百合と、,年配女性の全てが願って居る事とおもいます。
 嘗てのサユリスト諸氏の多くが、老衰の兆しを見る時、その奥さん達が美容と健康に心がけておいでです。
 その志しは正に壮とするべきでありまして、その志しを失ったとき、女性はガクリと年寄るのであります。
 美しく老いる秘訣は、強固なる意志、自己に対する相応の投資、絶え間無き節制を継続する努力が必要であります。
 こうした努力の継続を怠ると、忽ちにして老女性は ババァ と化すのであります。
 
 老男性は、孤独で頑固で意固地になり、頑固となつて、己の殻に閉じこもり、耄碌して行くのであります。
 
 限りある命でありますから、命綱の年金とささやかな貯蓄に縋って、精々楽しく過したいものです。
年金に関する考察
 勤め人が退職いたしますと、年金なぞで生計を立てることになります。
 厚生年金の制度は、昭和19年に制定され、老生の例で云いますと、それ以来約40年余りの間、年金の積立を黙々と続けました。
 
 老生は只今迄、約24年間年金を受けて、日々を細々と過ごしておりますが、昭和12年頃に老生の勤めていた会社を定年になりますと、退職積立金並びに慰労金なる物が支給され、当時の定年退職者は、それで貸家の10軒も建て、悠々自適の生活を送られ、又、園芸を趣味とされてい方は近郊に程々の農地を買われ、季節の花、野菜なぞを植えて、楽しまれ御子息及びお孫さんと同居し、悠々自適の日々をお送りでしたが、この方は、後年近郊の宅地化の波に乗り、現在、ご子息は大地主として納まり反って居られます。
 
 持ちつけないお金を握り、浮かれに浮かれ、五反田、大森、西小山、渋谷円山町あたりで、愉快を尽くされ、お金と言う物は使うと無くなるので、3年足らずでスッカラカンの一文無しになられたと云う例も、聞き及んで居りますが、これは当人の心柄で、全くの話が馬鹿に付ける薬は無いので、例外中の例外で、大方の人がこの退職金を運用して、平穏な隠居生活に入って行きました。
 
 現在の年金制度が破綻しかけて居り、その原因は年金を受け取る老齢者が増加し、厚生年金、国民年金の基金の積み立てる現役の人が減少し、収支のバランスが狂った為と、関係のお役人は大真面目な顔で仰せになっており、一部の経済学専門家と称する、オツムリの歯車の狂った先生が、これはインフレ政策をとり、現役の所得を見かけ膨らまし、支給年金のスライド率を下げて、収支バランスを図るべきだなぞと云う様な始末で、インフレの恐ろしさとデフレの有り難さを知らない、馬鹿な先生が、三流の新劇俳優の様なスタイルで、得々としてテレビで口から出任せの思いつきを喋ると、どう見ても知性なぞとは縁の無さそうな、若い男女がウンウンと頷き合い、世界情勢から麻薬用いたションベン女優の問題まで、極めて器用に裁く、司会者が適当に解説して、それが熱心なテレビの聴視者の社会観、処世感、人生観、となりまして、世論とか庶民の声とかを形成するに至る訳であります。

 厚生年金にせよ、国民年金にせよ、支払いが無く入金ばかり有った時期、厚生省のお役人は一体なにをしたかと云えば、他人の金だと思って、無責任にも前後の考えも無く、無駄遣いに終始したのであり、この基金を有効に利用し、国民に還元しようなぞと云う考えは無かったか、有ったとしても極めて希薄でありました。

 お役人が良い格好をし、あちらこちらに無駄な投資をして、それでも余るので、本来は税金で賄うべき事業に使ったのであります。
 これは、所謂使い込みでありまして、個人対個人であれば、裁判沙汰になつて可笑しくない一大事なのでありますが、善良にして寛大な我々国民は、こうした事態をじっと堪えているので有ります。
 人間は過ちを犯します。
 それは仕方無い事として、その責任を塗胡するのは、背信行為で有りまして、これを敢えて許すのは我々老齢者が温和にして善良、他の過ちに対して頗る寛容で有るからであります。
 
 我々、善良にして従順、他を信じる事の篤い庶民は、政治家とお役人を信じて、永年粒々辛苦して積み立て、分割はらいを受ける事に同意したので有ります。
 
 年金加入者から集めた基金に国債並みの利息を付けて、退職時、全額返還してくれたら、退職金と合算し、一億円近い金額になつた筈であります。
 これを資金にして、マンションの四軒ぐらいにして置けば、多分左団扇でほくほくと暮らせた筈であります。
 又、これを年間500万づつ食いつぶすとして、20年掛かります。
 もしも、5パーセントの利息が年間付けば、元金手付かずで悠々と暮らして行けたのであります。
 
 我々年金生活者は、過去に営々として積み立てた、自分の蓄財をなし崩しに国から返して貰って居るのであつて、決して国から支給を受けて居るのではありません。

 その昔、大本営陸海軍部発表が嘘で固めたものでしたが、現在の官僚の話もややそれに近い、自分たちのやり損ないを隠して、財源枯渇は一重に受給者が増えて、つまり年寄りが増えて、若者が減ったせいにしていますが、ソンナ事は20年も前から、統計的に判っていた事でありまして、今更騒ぎ立てるのは、自らの無能の結果であります。
健康保険に関する考察
  昭和7年頃の話ですが、御医者さんは人力車で往診していました。
 ご近所の家の前に人力車が停まり、車夫のおじさんが梶棒に腰掛けて、タバコを吸っているのを見かけと、近所では「あそこの家の病人は駄目なのかねえ、お医者に掛かつているよ、気の毒だねえ」と噂しました。
 当時、健康保険の加入者は極く限られていましたので、風邪を引いてお医者さんに行くと、1円50銭取られましたから、一家で病人を一人抱えるとその家は経済的に破綻しました。
 大抵な病気は柿色の渋紙袋に入った「富山の置き薬」を適当に飲んで、一週間から十日も寝て治らないと、医者に行きました。
 この頃、小生の家の近くに頗る勉強の出来る、ナントカ中学の特待生のお兄ちゃんが居て、トーゴーカメラで小生の可愛い写真(嘘では有りません、写真は紛失してご覧に入れられず残念です)を写してくれたりして居ましたが、風邪を引いて咳が出て、やがて喀血して病院に連れていかれました。
 その時、我が母親は思案顔で「オマエ、勉強なんかどうでも好いから、肺病にだけはならないでおくれょ」と云いました。
 当時はちゃんとした会社(現在の株式上場企業を指す)に勤めて居ないと健康保険に加入していなかつたので、小売業なぞ自営の家庭では、病人を抱えると経済的負担に耐えられない様でありました。
 
 小生は母親の期待に応えて、勉強をしなかつたので、肺病にならず長生きをしております。
 
 老生が働き出して一年ばかり経ちましたある日、盲腸炎で入院し手術を受け、10日ばかりで退院と云う事になり、母親が費用の支払を済まして、世にも幸せな顔付で上機嫌で戻って来ました。
 健康保険に加入していて本人だつたので、入院費、治療費が只だつたのです。
 
 最早戦後では無いーーーと、池田勇人首相が胸を張って宣言した頃、我が社も熱海、湯河原、軽井沢、箱根、と云った主な温泉には、直営保養所があり、その他、契約旅館と称するホテルと旅館が全国に点在し、ここを利用して証明書の様なものを厚生課に提出すると、相当額の割戻しがあると云う、有難い事になつて居ました。
 
 近時に至り、自民党の小泉純一郎先生が、内閣総理大臣に就任されるや、改革と称する改悪を進められ、後期老齢者なぞと云う新語で呼ばれる老人を除き、健康保険の加入者負担額が上がり、若いお方なぞのお支払いは、一万円札を出されお釣りが余り来ない様で、大変だろうと余計な心配を致しております。

 現在、健康保険も現在、大赤字でこの原因は、被保険者の老齢化が進み、収支のバランスが狂い、赤字が増大して、解決策としては患者の自己負担率を上げる他に方法は無いと云う、途方もない詭弁を使って被保険者の負担を平然と増やし、呆れ返ったのは、公明党出身のスダレ頭の厚生大臣が、テレビに出てきて5年前にはこうした事態の予測が立たなかったと、云う話をして居りましたが、政治家、しかも大臣とも有ろう人が、5年先の予測が付かないとは、呆れた話でありまして、糞も味噌もごちや混ぜにして、改革をしたと称する総理大臣と、定見の無さでは好一対でありました。
 
 小生は毎月3万6千円の健康保険料を徴収され、月間平均3割負担で1万2.千円程度の支払いがあります。
 健康保険に加入して居なければ、4万円前後の支出で済みますが、この状態で考えますと、月間8千円程度の過払いになつております。
 厚生省に云はせますと、後期高齢者が健康保険を食いつぶしているかの如き感じですが、過去の蓄積を滅茶苦茶に食い潰し、その事には一言も触れず、現状の徴収額と支給額で賄う事が出来ず、赤字だ赤字だと騒ぎ、そのしわ寄せを被保険者に被せるなぞは、トンでもない話であります。
 
 我が国の官吏諸君は、どんなに失政を重ねても平然として、辻褄を国民の負担で合わせるのであります。
 大病院、小医院、整骨院はたしかに年寄りで溢れて居りまして、最後には1月程入院して、幽冥境を異にする訳でありますが、これらの事情に就きましては次項で縷々述べさせて頂きます。
病院待合室の風景  ここで、古今亭今輔師匠の言葉を借りますと、病院の待合室での話、「○○さん見えないねえ」「ウンあの人は今病気で寝てるとさ」と云うのが有りました。
 誠に名言であります。
  老生は今より10年以前、浅草のお酉様に出かけ、歩道より足を踏み外し、簡単に膝の軟骨を破り、著名なる整形外科の先生に診療を請いました所、名医必ずしも良医ならずで、「まあ、日常の生活に差し支えないから、転ばないように杖を突いて歩きなさい」と診断され、以降、余り悪くもならず良くもならず、ヨタヨタと杖を引き摺り歩いておりますが、辺りを見廻しますと杖を頼りに歩いている老人の多い事に気が付きます。

 以降、徐々に悪化して車椅子の御厄介になるとしても、暫くはそうした事態にはならずに居たいと願い、出来れば死ぬまで何とかヨタヨタと杖を頼りに歩い過したいと願っております。
 
 辺りを見廻しますとご同様な患者が沢山おり、元女性であつたと思われる患者が圧倒的に多いのでありましすが、この方々は誠に元気がよろしくて、人込みの中にお友達を見つけますと、杖を振り上げて「ここよーーーここよ」なぞと声張り上げて連呼し、隣に座って居る包帯姿も痛々しく「ニンテンドウ」DS なぞを操っている、寡細い青年を、巨大なお尻で押し除け、お友達の為に席を作ってやり、堰を切ったように情報交換が始まるのであります。
 
 一方、元男性はどうかと云いますと、欲も得も無いような顔で杖の上に顎を乗せて、あらぬ方を見詰めているタイプと、憮然たる表情で辺りを睥睨しているタイプ、顔見知りに逢ってもプイつとよこを向き相手を無視する悪性なジジイ、人様を見るときチョツト反身になり、顎を引いて斜に構え、目玉を下に寄せて人を見下す様な態度を取るジジイ、等々で色々有りですが、概して孤独に耐えて居る様子であります。
 
 良いおじいさんは、いつもニコニコとして、人当たりを良くして、清濁併せ飲む度量を示し、存在感を示そうなぞと云う、詰まらない考えを捨て、人の性は善なりと信じ、広く知己を求める心境に徹すべきなのであります。
 
 病院の待合室で様々な、ジイとババアが展開する風景は、仔細に眺めると誠に興味深々として、診療の順番を待つている空白の時間を凌がせて呉れるのであります。
 
老後の過し方に就いて 小生の畏友に、A.S氏と云う人が居り、この人とビデオの同好会で知りあいました。

 ビデオ同好会なるものは、会員が撮影、編集したビデオを公開披露するもので、見終わると会員が感想を述べる事になつております。
 こうした会に集まる人々は、大体に於いてアイツよりオレの方が上だと、固く信じて居りまして、見せられたビデオにケチは付けても余り褒めません。
 
 上映作品は確かに酷いもので、ヨーロッパションベン旅行記録なぞ、建物や街の風景はほんの僅か、制限時間20分の中5分ばかり、後はバスからの沿道風景、ホテルの食堂でいと和やかに遅い夕食を召し上がっているばかりで、提出者は活動弁士さながら、熱狂の余り立ち上がり、終始解説に没頭し多大の拍手なぞを期待している顔つきですが、終わるとドッ白けで、満場、寂として声無き中、我が畏友、A.S氏は独り盛大に拍手し、且つ何とか彼とか云い、この如何に仕様もないビデオを褒めるのであります。
 帰途に曰く「皆な褒められ様と思って、持つてくるんだだから褒めてやるべきーー」なのだそうです。
 
 老齢者はすべからく、お互いに謙虚でなければ駄目なのでありまして、自我を張らず只管に謙虚でなければなりません。
 赤ちゃんを見たら「可愛い」と云い、子供衆を見たらお母さんに似てキレイになるとか、年頃の娘を見たら「何てキレイだろう」青年を見たなら「男前だねえ」と云い、店に入ったら店員に「−済まないねェ有難う」と云うを当然のに礼儀と考えるべきなのであります。
 小生が育った頃、街の人は大体に於いて愛想が良かった。
 人間付き合いで、愛想が悪く為ったのは、戦後であります。

 小生の育つた頃の大人達には、相手を立てる風習が残ってり、何に依らず相手を褒めると、褒められた人は成長しました。
 
 しかし、老いたりと云えども男子でせありますから、怒る所は徹底的に怒らなければなりません。
 命を賭して怒るのであります。
 如何いう場合に怒るのかと云えば、明らかに相手から愚弄された時、死を覚悟して怒り狂う必要があります。
 「やい、この青ッ臭ぇの舐めるんじゃねぇや、出来るものならオレをぶちのめすとか、ブン殴るとかして見やがれ、俺はコロッとあの世に行くぞ、そうすりゃ手前は人殺しだ、良くって20年、悪けりゃ一生刑務所で臭い飯だぞ、それを覚悟で張り倒すとも、ブン殴るとも勝手にしやがれッ」これをベランメェで喚き立て、大向こうから声が掛かるほどに大見得を切るのであります。
 大体これで相手は適当捨て台詞を残して、退散する筈です。
 
 大体、今時の若い者は、口は達者ですが、単に口舌の徒で有って、実力は行使しない筈です。
 
美しく老いる事に就いて 耄生の案ずるに人間は、70歳を境に体型容貌共に著しく変化します。
 努力しないで美しく老いる方法なぞが色々と紹介されておりますが、これらは全てインチキであります。
 そんな方法はありませんから、虚言に惑わされず、情操を高め節制に努め、体力の許す範囲で運動に励み、腹八分て゛間食なそは絶対に止めるべきであります。
 森 光子、吉永小百合、の両女史は、日々節制に努め、専属栄養士の作る献立以外は一切の飲食をせず、専属美容師による美容体操を励行し、洋舞、日舞、スタニスラフスキーシステムによる演技訓練で、超人的な努力で精進しているのであります。
 
 お腹の皮が弛んでから、あれこれやっても全て無駄でありまして、美容健康食と称して新聞や雑誌に広告を出している、不健康な食品を摂取しますと、思いも掛け無かった病気になるのであります。
 何百万円かけて、美容成形なぞをして、皺取りをしても駄目であります。
 
 余談になりますが、かなり以前に和田アキ子と云う人と、何とか云う吉本の芸人が司会する、容貌悪しきを苦にした女性を美人にして呉れる番組があり、一回の放送で三人程度、幸運にも選ばれた醜貌の女性が、斯界の権威らしき美容成形医や美容師によつて、美人に仕立て上げられる番組がありまして、幸運にも選ばれた醜貌女性が、司会の和田女史の絶妙な話術に誘導され、涙ながらにブス故の苦悩を訴え、ゲストは同情の涙で目頭に滲ませ、この女性がそれぞれ、三ケ月程奮闘努力しまして、眼をパッチリさせ、鼻を高くし、頬骨を削り歯を入れ替え、成形された美人は何れも見事に同じ様な顔になって、にこやかに幸福に満ちた表情で、出てくるのであります。
 別人の様な成形美人になり、ペラペラした洋服を着て颯爽と現れると、ゲストの俳優諸氏が「ウオーッ」と歓声を挙げて、この成形美人を迎えるのであります。
 成形された美人は何れも見事に同じ様な顔になって、にこやかに幸福に満ちた表情で、出てくるのであります。
 
 こう云う成形美人が齢を取るとどんな具合に齢を取るのか、まさか若々しいお顔の侭で、腰が曲がったり、足が曲がったりしする筈は有りませんので、後の手入れが大変だろうと心密かに心痛致しております。
 美しく老いる為の講座なぞがあり、踊ったり跳ねたり食事の制限をしたりするそうですが、無駄であります。
 老いると云う事は、その人の持つて生まれた気質や、性格が顕わになつて来ることで、更に加齢して行きますと、子供の様に更に進んで赤ン坊の様になりまして、母の体内には戻れませんので、土に戻るのでは無いかと考えております。
 
茶飲み友達 町内の爺さんや婆さんが、お互いに尋ね合いまして、軽焼きとか団子の類で番茶なぞを飲みながら、彼是とオシャベリをする仲間を茶飲み友達と云いました。
 最近は、コーヒーとケーキなぞになりましたが、何となく顔を合わせてアレコレとオシャベリほする仲間を茶飲み友達と申しました。

  話題は共通の趣味のお話から、近頃の健康状態、昨日話した事の繰り返し、色々ありですが要は共通性があり、共感を持つて語り合える内容なら何ても良く、最も興味ある話題が、共通の顔見知りに関する、苦言なり御批判なぞても、ご当人に知れなければそれで良く、要は熱心に口角に唾を溜め、語り合える内容なら、何でも宜しい訳であります。
  心有る有志が、敬老の日なぞに後期老齢者の寂しき心を慰めんと、町内会館なぞで色々と催しが有りまして、幼稚園児の遊戯とか、前期老齢者の御婦人の歌や踊りで、御慰めを頂いておりますが、このお志し有難くを受け止め、皆様が自慢の芸を拝見するのであります。
 ささやかなな会費でバスを仕立て、近くの温泉場に日帰りでお連れ頂く旅行なぞがありますが、中に市会議員の先生なぞも同行されて、お茶やジユース、弁当にお菓子なぞを頂戴し、一日中バスに乗っておりますと、腰が痛くなり後期老齢者には少しばかり苦痛である場合もありますが、ここは我慢の為所と思うぺきであります。
 
 人間の持つて生まれた気質は様々でありますから、こにな下らない奴等とおれ様を一緒にされて堪るかと云う、孤高を保つて居る方もおいでになりますが、それは狭量の為せる技で、礼儀としても老人の集まりには、機会有る毎に出席し、老婦人に対しては「何時も若々しくてお綺麗だ」と云い、同性の老人に対しては「いやぁ、血色が良くて若々しいですな」なぞと云うのが近所付き合いの始まりであります。
 お世辞では無いのでありまして、これが人付き合いの基本なのであります。

 老生の昵懇の友の観察に依ると、老婦人に「お若い、お若い」と申し上げていると、服装、容姿ともに若々しくなるそうであります。
 当然、この逆の場合も想定されるのでありますが、老男子は無精ひげなぞを生やさぬようになり、ズボンのチャツクを開け放しに気を付けるようになるのであります。
 
 珍重すべきは茶飲み友達なのであります。
 
 
   「花のいろは、うつりにけりな、いたずらに、わが身世にふる、ながめせしまに」
 
 
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